tsuki no kobanashi

ソプラノ 和田静乃の日々をつづります
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ほんとうの豊かさ、とは

現代は、とても便利な時代なのではないかと思います。
その便利さに、どれだけ助けられているかわかりません。

交通はどんどん発達し、
電車の乗り入れも多く、乗り換えなしで、
または、楽な乗り換えで遠い町にも時間をかけずに行けたりします。

インターネットの発展もまさに。
こんな風に日々の思いを書いて、
それをすぐに読んでもらうことができる。
おいしいものも、全国各地から、
簡単にお取り寄せができる。

この便利さは、私たち人間が作ってきたものですが、
それと同時に失っているものも大きいと、
最近、ものすごく感じるのです。

例えば。

デパートの地下に行けば、
ありとあらゆるお惣菜が買える。
いや、デパートなどにいかなくとも、
コンビニで24時間、お弁当が買える。
冷たくさめたものでも、
電子レンジに数十秒かければ、ほかほかになる。

それは、すごく便利なこと。
私はそういう食事は、まったく好みませんが。
これってどうなんだろう?という思いもそこにあるからかもしれません。

「食育」という言葉をよく聞く昨今。
それをしていることが、すごくよいことのように言われている。
でも、かつては、それが、当たり前だったのです。
特別いいことではなかったはずです。

それを、特別なものにしてしまったのは、この便利さ。
当たり前に持っていたものを、手放してしまったのです。
大事なものを。

インターネットの普及もそう。

何かを調べようと思ったら、
本を読んだり、辞典や辞書を引くのが普通だった昔。
今は、検索掛ければ、ぽん!と出てくる。
時間をかけなくても、
すぐに調べることのできる便利さには、
本当に私も助けられています。

でも。

時間をかけない分、忘れるのも早くなった気がするのです。
大変さや、その苦労から、
自分の中に残る、ということは、きっとあるはず。

一夜漬けの勉強よりも、
日々こつこつ勉強したものの方が、
覚えているということにも近いと思います。

今は、きっと、スピードの時代。
そのスピードを得られたから、
その分、時間に余裕ができて、豊かな生活ができる・・・という構図。
でも、それは、錯覚ではないか?と思うのです。

人間として、人間の中身を、本当の意味で豊かにしようと思うなら、
日々のひとつひとつを、スピードで済ますのではなく、
日々のひとつひとつに、丁寧に向き合うことなのではないかと。

できあいのものを買ってくるのではなく、自分で作る。
おいしくできなかったとしたら、
おいしくできるように、本を読んでみる。
くりかえしそんなことをしていたら、きっと、
気づかぬうちに料理上手になっている。

あれ?と思ったら、インターネットで調べるのもいいけれど、
本を読んだり、辞書を引く。
その方が、きっと身体に沁みる。
ネット上に出ている写真や絵で済ますのではなく、
その場所に行ってみたり、実物に触れられるものには触れてみる。
その方が、感動も大きい。

便利さの発展は、経済の発展とは、比例しているのでしょう。
でも。
人間の本来の豊かさとは、反比例してしまっているとしか思えないのです。

だからと言って、この便利さの恩恵にあずからずして、
現在生活するのは、不可能に近いものがあります。
いや、近い、のではなく、不可能でしょう。

だから、忘れてはいけないのだと思うのです。
便利さの代償に、失いつつあるものがあって、
そこには、実はすごく大切なものもあるということを。

なんでもお金で買えて、経済が発展して、
それでOKなのではない、ということを。

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